二度とない桜/ FX損益2/2結果+947円

自分たちは一切を棚に上げながら、政府のお偉方が国民におしつけてくる、修行僧か受刑者かという禁欲拘束生活もそろそろ一年が見えてきています。
絞りきってカラカラに乾いた飲食業の財布を、繊維がズタズタに引きちぎれてもなお無策に絞り上げ続ける毎日。
異を唱えようものなら自粛警察が寄ってたかって同調圧力で袋叩きです。
一体今はどこの中世だと言うのでしょうか。
すっかり死んだ目になっているおじさんの目に、一本のニュース記事が映りました。

 

『高校・大学などに卒業旅行・謝恩会の自粛呼びかけ』

 

記事自体にはただ無機質無感動に自粛自粛の文言が並んでるだけなので、ここでどうこう言う価値もありません。
とにかく人と人が接近するだけで危ないコロナ禍で、極限まで一般国民のつながりを断つのは理屈の上では間違ってはいないのでしょう。
でも、いくらなんでも一欠片の情もない話です。

 

私がいるような小さな職場だと、人の流動性というものがろくにありません。
必然、歓送迎会というものがそうはありません。
今生の別れなどというものも久しく経験がありません。
都知事の発言を借りれば、桜は来年も見れるという奴です。

 

でも、卒業となると話は違います。

 

最も多感な高校3年間を、長い人では6年間それこそ寝食を共にし家族よりも濃い時間を過ごした大学時代を、締めくくれないのはどんな思いでしょうか。

 

貴方方だって覚えがあるとおもいますが、卒業後も付き合いが続く友人なんて両手には届きません。
仲が良かった人でも遠く離れたり業種が違ったりすると疎遠になっていきます。
旅立ちなんてそんなものです。
全てを抱えていくことなんて出来ません。
私だって4月の桜を、異郷で寂しく見上げた記憶があります。
もう同じ桜は二度と見れないのです。

 

真っ当に卒業の行事をこなした私ですらそうなのです。
握手のひとつも出来ずにバラバラにされる当事者たちの思いはいかばかりでしょう。
想像もつきません。

 

幾らなんでも生命の危機を押してまでやる事ではない、それも道理だとは思います。
でも、情も道理も枯れ果てた国会の老人たちが考えるほど軽いものではないのも確かです。

 

ある訳がないとわかってはいても、何かいい手はないのかなぁとおじさんは考え込んでしまうのです。